行田在来青大豆の歴史
江戸時代から栽培されていた「行田在来青大豆」田んぼのあぜで作られていたことから「あぜ豆」とも呼ばれていました。枝か大きく広がることで、倒れやすい。実が付く位置が低く、収穫しづらい。等の理由から生産性が低い為、昭和50年代にはほとんど姿を消してしまいました。しかし、少数の農家では自分たちで食べるために栽培を続けていました。
行田在来青大豆が復活
県農林総合研究センターが県内在来大豆の加工適正試験を行った結果、豆特有の香りが高い行田在来青大豆が、豆腐の加工に適した品種であると高く評価され、脚光を浴びるようになりました。そして、平成19年より農家、県、市が協力し、斎条・谷郷地区から再び栽培されるようになりました。現在では、皿尾・埼玉地区に栽培地を拡大しています。